はんぞーのブログ

旧・音楽とはすばらしいものだ。

Thank You Rockers I Love you Baby

今日は03年のTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの解散ライブのTシャツを着ていった。
特に理由はなく、たまたまタンスから出したのがそれだった。
そしてそれを着て西武球場に行った。
今日は用事があったので球場に着いたのは19時ごろだったので、すでに外野席には一緒に行く約束をしてた昔のバイトの先輩と、その友達がいた。
そしたらその先輩の友達の人がこっちをよく見てくるのだ。
これまでその人とは3回くらいしか会ってないのになんだろうなと思っていると、Tシャツを見て「ミッシェル(の解散ライブ)行ったの???」って声をかけてきた。
実はその人もミッシェルの解散ライブに行っていたのだ。
あの解散ライブから3年近く経つけど、自分の周りで初めてあのライブに行った人と出会った。
すごく嬉しかった。
それからは二人で野球観戦もほどほどに、あの日のライブの話をした。


一曲目の「ドロップ」が始まった時のこと。
ラストの「世界の終わり」のイントロが流れた時のこと。
そしてその時のオーディエンスの雰囲気。
悲鳴をあげる者、ひたすら泣き叫ぶ者、呆然と立ち尽くす者、最後まで冷静にステージを見続けようとする者、ラストダンスに踊り狂う者、、、、
そして「世界の終わり」途中でチバが去り、一人また一人とメンバーがステージから去っていき、全てが終わった時のこと。
あの時同じ場所で味わった興奮・涙・感動・虚脱感etc・・・
それはDVDでは100%伝わらない。
あの日あの場所にいた人としか分かち合えない思い。
それを初めて分かち合えた嬉しさ。
その思いを共有できる人と初めて出会ってボクは興奮した。
その人にとっても「2003・10・11」は特別な日らしく、話をしている最中に「鳥肌が立ってきた」と言ってきた。


またその人はミッシェルのワンマンにはいろいろと行っていたらしく、一時は新潟に住んでいたこともありフェイズには頻繁に行っていたと言う。
フェイズは自分も行ったことがあるのでフェイズネタでさらに会話は広がる。
00年のTMC(DRAGON ASHPENPALSRIP SLYMEスケボーキングラッパ我リヤ・ミサイルガールスクート)もフェイズに行ったらしい。
ボクはその時のTMCは赤坂BLITZに行ったと話した。
会話は広がる。



こうなったらもう音楽の話は止まらない。



さらに話をしていると、その人は90年代後半はいろいろとライブに行っていたらしい。
ミッシェル・ブランキーハイロウズイエモン・マッド。。。。
90年代終わり、自分が今みたいにライブに行きまくる前の話だ。
極めつけはその人が99年の第1回のライジングサンに行っていたことだ。
99年のライジングサン。その時のメンツは奇跡だ。(参考)
電気グルーヴNUMBER GIRLTHE MAD CAPSULE MARKETSZEPPET STOREハイロウズDRAGON ASHUA椎名林檎THEE MICHELLE GUN ELEPHANTpre-schoolBLANKEY JET CITYSUPERCARギターウルフサニーデイサービス、、、
ボクが大好きなバンドの数々・・・
そして2006年の今となってはほとんど見ることが出来ないアーティストばかり・・・
それもそのはず。上に挙げた15アーティストで、この当時のメンバーで今でも活動してるアーティストは皆無なのだ。
そんな超超豪華メンバーで行われたライジングサンを見たその人がとても羨ましい。
と同時に、実際に参加した人から、その時のことをいろいろと話を聞けたことがすごく嬉しかった。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTBLANKEY JET CITYTHE MAD CAPSULE MARKETSはサイコーにカッコよかった、とか、電気グルーヴが楽しかった、とか、真夜中のギターウルフがうるさかった、とか、朝陽が昇るころにトリのサニーデイを聴けたこと、とか、キャリアの浅いD.AやナンバガSUPERCARを新鮮に思った、とか。。。
もうね、そんな自分が知らないことをいろいろ聞けたことがホント嬉しかったんだよ。


「音楽は人を繋いでいる」って久々に実感した。


残念なことに、その人は03年のミッシェルの解散を機にロックから離れたと言っていた。
でもボクは思う。
まだロックは死んでないよ。



今日もしもミッシェルのTシャツを着ていかなかったら、その人がミッシェルのライブにいっていたことは知り得なかっただろう。
そしたら全く違う一日になっていた。
帰りの電車で「こういうのも運命って言うのかなあ」ってシミジミと思った。